Yolc Diary


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[24/08/31 15:37 by 森 竜生]
北欧遠征②
翌日、レンタカーを借りてトゥルクへ移動。マスターズの前の週はプレレースが開催されており、4日間参加。その開催時間が17時から21時頃。日本では考えられませんね。21時半ころまで明るい白夜ならではです。地元の人も仕事が終わってから参加できるようになっているようです。4日間すべて別テレイン・別クラブが担当していました。ヘルシンキから移動した当日も、トゥルク市内から30キロほどのテレインで走りました。自分としては45日ぶりのフォレスト、転ばない程度でゆっくりと堪能しました。苔むした岩盤地、ふかふかの湿地、これぞ北欧です。走り終わるとかなり膝が痛むので、アイシング。だましだましです。
 夕方までは暇なので、部屋でオリンピック見たり、観光などしたりして過ごしました。トゥルク市内から1時間ほどのラウマは、世界遺産となっていて、木造の建物が美しい街でした。30分ほどの距離にあるナンターリにはムーミンランドがありました。飯能にも最近できましたね。おっさん4人ではいっても仕方ないので入りませんでしたが。そこでのスプリントのレース、ロングは6キロ、先ほどのムーミンランドをみつつの起伏もある厳しいコースでした。

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[24/08/31 14:19 by 森 竜生]
自己紹介&北欧遠征①
この度HPの原稿を依頼されました森です。
昔から全く文才はなく、面白おかしく書けませんのでご了承ください。
テーマとしては自己紹介&北欧遠征です。
私がオリエンテーリングを始めたのは1980年中一の時、友人とパーマネントコースを回りました。高尾の小仏のコースでした。コンパスと地図を使うハイキングという印象でした。しばらく関東近辺のPCを楽しみました。その後きっかけは忘れましたが、朝日新聞主催の大会が有ることを知りました。友人は参加せず、単独でのぞみました。PCとは違う、大会の雰囲気にすっかりはまってしまいました。特に、頑張って走れば表彰されるというのが大きなモチベーションになりました。当時は朝日大会しかり、公認大会系で入賞すると新聞に名前が載りました。大会会場には大会のビラが多く置いてあり、それからは大会参加専門になりました。当時のOLについては下山さんが書いてくれた通りです。中学生だったので遠い地方大会は参加出来ませんでしたが、東日本・西日本・全日本等の公認大会は良く遠征していました。当時の部活はバレーボール部で、大会とよく被り調整に苦労しました。大会に参加すると、同年代、同クラスの人と仲良くなり、交友関係が広がりました。いまでも当時の仲間とはつながっています。
 高校では部活は入らずオリエン一本にしました。立教高校にはオリエンテーリング部はなかったので、当時親しかった桐朋高校の仲間と行動をともにさせてもらい、合宿にも混ぜてもらいました。中・高校時代のオリエンが一番楽しかったですね。大会帰りにマックに寄って、時間を忘れひたすらオリエン談義をしていました。当時の高校でオリエンテーリング部は結構ありました。早大学院、桐朋、保谷、国分寺、浦和、川和、豊岡など、都立共学の女子も多く、いろいろ楽しかったですね。最初のヨーロッパ遠征は83年、高1の時でした。高校生4人で渡欧。当時、高1での渡欧は最年少でした。今のようにJWOCなんかで勝とうというのが目的ではないので、気負いは全くありません。みんなで楽しむのが目的でした。今年のO-RINGENはスモーランドでしたが、まさにそこに行きました。テラインは今年ほど難しくは無かったです。一か月ほどスウェーデン、チェコで走ってきました。当時から海外テレインは日本とは大きく違い、白く、険しくなく、最高であるっていうのが、遠征の目的でもありました。その後86年にも行きました。
 大学時代は立教オリエンテーリング部に在籍、インカレエリートも走りましたが大した実績は有りません。中高でやり尽くした?でもないですが、あまり大学時代は真剣にオリエンテーリングはやっていませんでした。 
 卒業後、OL自体はやめはせず、年に2・3回の大会参加率。結婚し、子供が出来て、手が掛からなくなった頃、暇人になってしまったので、大会参加率を上げていきました。当時は地域クラブには属しておらず、適当に一人で参加していました。そんな時、立教の後輩である橋本さんが横浜OLクラブに属している事を教えてもらい、また高校時代から知っている天野さんも在籍しているとの事で、横浜OLクラブに入りました。
  また、おひとり様に戻ったのでますます参加率は上がっております。昔はロングクラシックのみでしたが、今ではパーク・ロゲ・などバリエーションも増え、飽きずに楽しめるのがいいですね。最近はすっかり劣化がすすみ、目は見えない、フィジカル落ちる、まともに回れる方が少なくなりましたが、やはりオリエンテーリングはやめられませんね。 もう一つの大きな趣味としてバイクがありますが、ここでは割愛させて頂きます。趣味としての課金はオリエン以上かもしません。
今年の北欧遠征
 前回行ったのは2019のWOC併設でした。コロナもあってなかなか遠征のきっかけがつかめずにいたところ、2019に一緒に渡欧した吉田勉さんが(立教の先輩)昨年1ヶ月近く北欧を転戦し楽しんできました。ますます行きたくなり、今年の初めに決断しました。今年も吉田さんが首謀者です。吉田さんはリタイヤしており、まさに自由。こちらはまだ現役なので、旅程には制約が。本当はO-RINGENからのマスターズまでが一番良かったのですがやはり無理があり、マスターズを絡めた2週間という事になりました。自分も社会人になって2週間有給をとるのは初めてです。ほかにも声をかけた所、杉本さん(ES関東)と大橋さん(杏友会)が同行する事になりました。
 今年のマスターズはフィンランド、トゥルク。4人なので、宿は一室貸しのアパート、移動はレンタカー。遠征の時の宿の選択肢としては、大まかに、キャンプ、大会斡旋のハードフロア(学校等の教室に二段ベッド等)、一棟貸の別荘等、ホテルがあります。初めての遠征の時は当然、学生の分際だったのでキャンプ&ハードフロア。これはこれで楽しかった。移動も公共交通機関&大会バス。ユーレイルユースパスを駆使し、大会バスも無い所はヒッチハイクもしましたね。ハードフロアでも食事が付けられる場合があり、その場合は自炊不要で結構楽になります。今回は、もういいおっさん4人なので、ちょい贅沢に? しかしこんなに円安が進むとはだれも予想つかず、現地での自炊は必須となりました。ホテル&外食という選択肢は贅沢に過ごせるという意味では良いのですが、ホテルだけに洗濯しづらいとか、冷蔵庫・電子レンジもなかったりするので選ぶのが難しいですね。
 1月には航空チケット、エントリーも完了。飛行機は南周りの格安チケット。カタール航空、ドーハ経由の24時間たっぷりコース。そしてしばらく時間が過ぎていきました。今年、渡欧する日本人は相当いるようでした。
 6月半ば特に気にするでもなく、週末オリエンティアとして活動。静岡OLの練習会(鳥追窪)の二日目にそれは起こってしまいました。前日に同行する大橋さんにも、今転べませんよねと言っていた矢先の出来事でした。地図読みをしながら走っていたら、転倒、運悪く岩石地で左ひざを強打。かなり痛く、しばらく立ち上がれませんでした。何とか、ゴールせねばと気合で歩き、フィニッシュ。ここのところ劣化が進み、転ぶ事も多くなっていました。昨年末もパークOでこけて、右手剥離骨折したばかりでした。何とか家までたどり着いたものの、足もつけない状態。これは尋常ではないなと思い、救急外来で病院へ。診断の結果、膝蓋骨骨折、まさにマーフィーの法則。シーネというギプスをはめられ、要安静。ショックでしたね。渡欧40日前にして暗雲。同行者といろいろとシェアする予定なので、行けなくなっても迷惑が掛かる。いろいろとこれからの対応を考えねばなりませんが、時が過ぎるのを待つしかありません。    
 3週間シーネを付けての生活、階段は使えないので、エレベーターかエスカレーター利用する。筋力も明らかに落ちてしまいました。医者にも全治2か月の宣告をされています。3週間たって、レントゲンを撮る。傷は癒えてきているがあと1週間シーネを付けておけとの診断。渡欧の希望は捨てていないので、言いつけを守らず少し動かし始めました。ひざが曲げられなくなってしまっているので、階段がキツイ。筋力がよわっているので、無理するとまた転ぶよと言われていました。でも何とかすこしでもリハビリをしないと本当に動けなくなりそうでした。痛みを我慢しつつ徐々に稼働範囲を広げていきました。7/13のワンダラーズのパークOに無理やりエントリー、片足を引きずって完歩。オリエンしてストレス解消にもなりましたね。出発は7/28、はたして間に合うのか?トレーニングもできず、走れなくても、せっかくなので行くというのは決めました。
 1週間前の7/20、ふたつ目の問題が勃発。某オリエンティアのXの投稿で、成田空港でチケットを買い直したという事件は知っていました。まるで対岸に火事だったのですが、自分のチケットをよく見てみると!やっちゃってました。姓・名逆登録です。それだけで飛行機には乗れないのです。かつては名前が先だったのですが、パスポート通りの姓が先、に変わっていたようです。すぐにチケット購入先に連絡するも、格安の共同運航便は変更が効かないと無常のお言葉。まだ、成田発覚ではなかったのが救いか。キャンセルして、買い直しです。この時ホントに渡欧する価値があるのかという葛藤が生まれてしまいました。2度もおきたマーフィーの法則、まだ何か潜んでいるのではないか?半日悩んで、キャンセルしチケットを取り直す。1週間前なので格安はほとんど条件の悪いものしか残っていませんでした。お高い直行便を購入。同行者とも別行動になり、ヘルシンキ空港で落ち合う事になりました。高い授業料になりました。
そんなこんなで無事とはいかないものの出発しました。直行便は初体験、12時間で到着。こんなに楽なのですね。同行者よりも半日早く着いてしまうので、ヘルシンキ市内観光に。スオメンリンナ島という世界遺産に行きました。港からフェリーで20分、要塞島跡地です。Omap化もされており、走ったら楽しそうです。夕方、空港にもどり同行者と合流、2週間の遠征が始まりました